半田運河沿いに並ぶミツカンの倉庫群(2014年4月)。中埜酒造の蔵とは別の建物です。
LANDSCAPE / PEOPLE / SAKE
粕酢を運んだ船頭が、
酒蔵の主に。
醸造の町・半田で生まれた、
「國盛」をたずねます。
「國盛」をたずねます。
01土地を知る
江戸で親しまれた、
尾州半田の酒。
國盛のふるさと知多半島は、江戸時代初期から酒をはじめ、酢や味噌、醤油などの醸造業が盛んな地域でした。江戸と上方の中間にある知多の酒は「中国銘酒」と呼ばれ、とりわけ半田は「尾州半田の酒」と称えられたと公式に紹介されています。
酒造りに適した気候風土や良質な酒米、豊かな湧き水に加えて、輸送に便利な海上交通が整っていたことが大きかったと考えられています。表紙は、半田運河沿いに並ぶミツカンの倉庫群です。
旅のメモ
国の繁栄と、
酒の盛んなることを願って。
02造り手に出会う
KUNIZAKARI / SINCE 1844
船頭の商才に、
酒造株を託して。
1844年(弘化元年)、初代・小栗冨次郎が國盛を創業しました。冨次郎はもともと、中埜酢店(現・ミツカン)の創業者・中埜又左衛門に委託され、粕酢を江戸や各地へ運ぶ輸送船の船頭をしていました。その商才を見込んだ中埜家が、酒造株を譲ったのが始まりです。
ラベルの書は、俳人・河東碧梧桐によるもの。1920年(大正9年)に半田を訪れて句会を催し、國盛蔵に逗留した際に揮毫したと紹介されています。1909年(明治42年)に丸中酒造合資会社として再出発し、1985年(昭和60年)には旧蔵が「酒の文化館」に生まれ変わりました。
公式・中埜酒造のあゆみを読む ↗蔵の歩みをひらく
- 1844年(弘化元年):初代・小栗冨次郎が半田で創業。
- 1909年(明治42年):中埜酢店の五代目・中埜又左衛門が「雪山」の蔵元と提携し、丸中酒造合資会社を設立。
- 1920年(大正9年):俳人・河東碧梧桐が國盛蔵に逗留し、ラベルの書を揮毫。
- 1985年(昭和60年):旧蔵を「酒の文化館」として開く。
純米吟醸
特撰國盛 純米吟醸 半田郷
酒造好適米を55%に精米し、寒仕込みした純米吟醸。
55%精米歩合
15度アルコール分
2.0前後日本酒度
数値は公式の製品紹介に掲載されているものです。酸度は1.4前後、アミノ酸度は1.1前後。純米ならではのふくよかな味わいに、吟醸仕込みのやわらかで落ち着いた香りを兼ね備えたお酒と紹介されています。「半田郷」の麹米には、地元愛知の農家が育てた酒造好適米「若水」を使っているそうです。
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