常願寺川の河口と、雪をかぶった北アルプスの山並み(2008年4月)。
LANDSCAPE / PEOPLE / SAKE
妻の願いで、
故郷の港町へ。
旭川から岩瀬へ戻った一家の、
酒造りの物語です。
酒造りの物語です。
01土地を知る
北前船の、
廻船問屋の町。
蔵のある富山市の岩瀬は、古くは延喜式に駅として、室町時代には「廻船式目」の3津7湊のひとつ「越中岩瀬湊」として登場する港町です。明治初期の大火の後に再建された北前船の廻船問屋街は第二次大戦の戦火を逃れ、今も古い街並みが残ると公式サイトで紹介されています。
満寿泉は、北アルプス立山連峰を源とする常願寺川系の伏流水で醸されます。表紙は、その常願寺川の河口の風景です。
旅のメモ
港町に喜ばれる、
めでたい名前を。
02造り手に出会う
MASUIZUMI / IWASE
マイナス41度の冬が、
帰郷を決めた。
明治初期、桝田家の初代・兵三郎は長男の亀次郎とともに岩瀬から北海道旭川に渡り、「都松」の商標で酒造業を起こしました。明治30年頃までには1,500石と、当時では日本有数の規模に成長したといいます。
1902年(明治35年)、旭川をマイナス41度の大寒波が襲います。亀次郎の妻フデは故郷の岩瀬に戻ることを切望し、亀次郎は1905年(明治38年)から岩瀬で「岩泉」の銘柄で酒造りを始めました。昭和のはじめ、港町の芸者衆にも喜ばれるめでたい名をと、苗字の桝田にちなんで名づけた「満寿泉」が主力の銘柄になりました。
公式・満寿泉の生い立ちを読む ↗蔵の歩みをひらく
- 明治初期:初代・兵三郎と長男・亀次郎が岩瀬から北海道旭川に渡り、「都松」の商標で酒造りを始める。
- 1902年(明治35年):旭川がマイナス41度の大寒波に見舞われる。
- 1905年(明治38年):亀次郎が岩瀬に戻り、「岩泉」の銘柄で酒造りを始める。
- 昭和のはじめ:苗字の桝田にちなみ、「満寿泉」と名付ける。
純米大吟醸
満寿泉 純米大吟醸「寿」プラチナラベル
山田錦を35%まで磨いた、限定流通の純米大吟醸。
35%精米歩合
公式サイトでは「山田錦の35%の純米大吟醸」で、派手ではなく、友人と一緒に飲みたいという思いで造ったお酒と紹介されています。飲み飽きせず、料理に寄り添い、最初から最後まで楽しめるそうです。
このお酒を公式サイトで読む ↗