滋賀県長浜市の木之本地蔵院(2018年10月)。
LANDSCAPE / PEOPLE / SAKE
賤ヶ岳の戦いの、
若武者の名を。
北国街道の宿場町・木之本で、
天文年間から続くと伝わる蔵です。
天文年間から続くと伝わる蔵です。
01土地を知る
地蔵院のそば、
本陣の斜め向かい。
冨田酒造があるのは、北陸と都を結ぶ要衝として栄えた木之本。飛鳥時代に創建された浄信寺(木之本地蔵院)の門前町で、宿場町でもありました。1698年の記録によると、冨田家は浄信寺のそば、本陣の斜め向かいにあったといいます。
己高山の奥山に降った雪と雨は、40年の歳月をかけて蔵内の古井戸にたどりつくと紹介されています。1769年に掘り替えた井戸の水は、今も仕込み水として使われています。表紙は、その木之本地蔵院です。
旅のメモ
七本槍の名と、
魯山人の文字。
02造り手に出会う
SHICHIHONYARI / TENBUN ERA
魯山人の篆刻を、
ラベルに。
冨田酒造は、天文年間(1532〜1555)初期の創業と伝わります。1583年の賤ヶ岳の戦いで羽柴(豊臣)秀吉は浄信寺を本陣とし、勝利の立役者となった若武者たちが「賤ヶ岳の七本槍」と呼ばれました。
大正時代、12代・八郎のころに品評会でたびたび1等に選ばれ、「七本鎗」として商標登録。文化人でもあった八郎の縁で北大路魯山人が冨田家に逗留し、そのとき制作した「七本鎗」の篆刻の文字を、今もラベルに用いています。2002年には15代・泰伸が蔵に入り、自ら酒を醸す「オーナー杜氏」の蔵になりました。
公式・冨田酒造の歴史を読む ↗蔵の歩みをひらく
- 天文年間(1532〜1555年)初期:創業したと伝わる。
- 1744年:7代・忠良が主屋を再建(2019年に国の登録有形文化財)。
- 1812年:9代・忠之が蔵を建て替える。今も仕込み場として使う。
- 大正:12代・八郎のころ「七本鎗」を商標登録。冨田家に逗留した北大路魯山人の篆刻を、今もラベルに用いる。
- 2002年:15代・泰伸が蔵に入り、自ら酒を醸す「オーナー杜氏」の蔵となる。
- 2016年:仕込み蔵を増築し、生酛造りの復活と木桶仕込みの再開に取り組む。
純米酒
七本鎗 純米 玉栄
滋賀県産の酒米「玉栄」で醸す、蔵の定番酒。
60%精米歩合
15度アルコール度数
数値は公式の商品ページに掲載されているものです。米のふくよかな旨みとしっかりとした酸を併せ持ち、冷酒から燗酒まで温度帯ごとに異なる表情を見せる食中酒と紹介されています。
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